知床エピソード①

「今回のゲストは、柴田さんと水野さんで、お願いしてやろうと思います。前回は、おっかしかったな、みんな喜んでいました。また水野さん来てください」と新谷さんが誘ってくれたのです。

 3年ぶりに、招待をいただいて「知床シンポジューム」に行くことに。

09年の前回は、プラモデルのようなFRPマイカヤックを担いできて、みんなの見守るその前で組み立てては驚かし、帰りのチケットは搭乗直前に失くしていることに気づいて、ハラハラドキドキ、見送りの人を驚かし、そのドタバタぶりが好くて皆さんによろこんで頂いていたのでした。

今回は、何も出来ない、プラモデルマイカヤックも持っていかない、チケットも失くさないことにしています。ゲストとして何が出来るのだろう、、、。  


  水野義弘

知床エピソード②

小高い丘を上がった中腹のキャンプ場で寝ている。いよいよ、漕ぎ出しの初日。北海道の朝は4時過ぎる頃になると早くも白みだしてくる。新谷さんとスタッフ達のキャンプ地から浜へ、トラックで30人分のカヤックを運び出す作業が始まっているようだ。やがて、うとうとしながら参加者全員が起きだしてくるころには、大方運ばれて、焚き火で沸かしたコーヒーが入れられている。朝食の準備もできた。

 朝食を摂っている我々参加者に、ずっと作業中の新谷さんが簡単に段取りを説明する。「みなさ~ん個人装備はトラックに積んで、歩いて降りてってください。トラックに乗ってもいいです。往復何回もしますから」、、、。ぼちぼちと個人の準備を始める。

個人装備、特に着るもの、何を持っていくか、寒いんだか、暑いんだか、判らない。
前回は同じ9月、ウエットのパドリングジョンにセミドライ、途中で寒くなってドライスーツを貸してもらった。夜はフリースを2枚重ねた。

今回は、結果としてTシャツ短パンで過ごせたと言うのは大げさかもしれないが、前回とは大きく違った。

 準備の段階では前回に近いことを想定して、ウエットを着込んだ。ヘッドランプの電池が前日切れた、リチューム電池は突然切れるように消えていくようだ。短パンを詰め忘れていることは気づいていない。小さなリチューム電池はウトロの2軒のコンビニには置いてなかった。無しでいこう。

 出発前の浜で、職業柄、各艇のメンテナンスに協力して動いた。ウエットは暑くて温泉のようにツーピースのウエストから汗の滴があふれて流れ出している。湯気も上がっている。

 31人出発、快適に進んでいる。が、ウエットを着込んでいるのは私1人、蒸れて痒ゆくなった。

 1日目我慢した痒さは2日目に我慢ならず、短パンに変えたいが詰め忘れてきた。信じられないミス。ウエットを脱いで、ラッシュガード(上しか持っていない)をスカートのように着ようかなとしていると、見かねて柴田さんが予備の短パンを貸してくれた。快適になった。

 水野義弘


知床エピソード③

初日、ウトロの浜から漕ぎ出す。1,2時間も進むと、この先、所々にある番屋のほかに人工物は全く見えなくなる。携帯もつながらない、道もない、知床の世界だけある。人間の日常から隔離された自然域、私は「大自然」と表現したい。日本にあるとは有り難いなぁ、と思っているうち、1頭めの熊を発見。えさを求めて海岸をうろついている、痩せている。小型の馬の顔とか、犬みたいとか、そんな声がする。平年だと、鱒や鮭が連なって川を溯上し始めている頃。なのに今年は海水温があと1度2度下がらないようで、鱒や鮭が陸地に近寄ってこないらしい。前回はウジャウジャ樺太鱒はいっぱい溯上していて毎年なのかと思っていた。あんなに痩せていては冬まで太るのが間に合わなくてこの冬を越せないそうだ。自然は厳しいな。

 奥深く木々が生い茂る谷の河口のゴロタの浜の小岩の上に、こちらを見据えているオジロワシを発見。間近に見ると言うか初めて見る。やがて、ゆっくり羽ばたき、ゆうゆうと谷の森の中へカーブを切って低空飛行していった。

 キタキツネの夫婦か兄弟か、浜から頭を低く下げてガンを飛ばせるように我々を見つめていた。   テントサイトの横の林にエゾジカもみる。
 初日、ひとまず北海道の野生動物に挨拶できた。

  水野義弘


知床エピソード④

丸石のゴロゴロ浜に上がってツアー1泊目、新品のマイテントを初めて組み立てた。サイズもちょうどいい、狭いながらも楽しい我が家。このテントは、熊本を出てくる前に札幌の秀岳荘さんに、間に合うなら現地集合場所のウトロに、お勧めテントを送ってくれませんかと、電話で注文をしている最中、秀岳荘白石店に、これから知床シンポジュームに行くという人が熊本からバイクでやってきました。その人に持っていってもらいましょう。と初めて会うことになる熊本県民同士、偶然うまいことに運んでもらったものです。
 キャンプサイトは海に面して細長い、少し広まった所に、まず焚き火、焚き火がいつもキャンプの中心。焚き火のすぐ近くの向こうに、本部。1本柱の特製タープ。四畳半はあるだろう低いピラミッド型。裾にごろごろ重石を並べすえる。設営は2,3分だ、1分かもしれない。引き綱など一切ない。

 焚き火から少し離れて、細長く続く浜に、僕らのテントが1列に向こうの方まで並ぶと、31人、設営完了。焚き火では、スタッフ料理、男料理が大胆に素早く出来上がる。食べ物も酒類も何でも旨い。
 
 夕方、飲んで食べている頃、少し雨が降った、合羽を着た。ウエットなど干している、雨できれいになる。寝袋も干していることを忘れて焚き火だんらん。雨は上がった。
 寝ようとテントへ行くと、干していた寝袋は濡れていた。焚き火に、もって行って大方乾かしテントに入った。寝つかずにいると1日静かだった風が、突然吹き出す。新品のマイテントが揺れる、引き綱をしっかり取っていてよかった。周りで物が飛んでいる音がする。スタッフが点検して回っているようだ。ウエットは干している飛ばされてしまったかもしれないと思いつつ、あった、暗い中、よく見えない、ヘッドランプは飾りで電池は当に切れている。足元転びそうに取り入れる。 気が付いていなかったが、ほかに干していたラッシュガードは飛ばされていた。翌日誰かが拾ってきて、焚き火のそばに広げてあった。俺のだよ。

 知床ではやたらに干しっぱなしは禁物だ。天気が変わりすぎる。


  水野義弘


知床エピソード⑤

知床エクスペディションには、いろいろなタイプのカヤックが使われている。その使い方は世界1過酷だと思える。傷だらけ修理だらけだ。ジョンダウト氏に、「こんな所でガイドをするおまえは世界1悪いガイドだ」、と言わしめたそうだ。

 海が厳しいのではなく、天候の移り変わりが激しく、人を寄せ付けないような海岸の姿が厳しい。その天候とその姿を見極めて、真剣に道案内をしている。カヤックが壊れようが、ここしかない。

 W艇はノースウエスト社(米国)のシースケイプが多く長年使われている、ウォーターフィールド(我社)の「シースポツイン」1艇もここ3シーズン使われている。キールは磨り減ってきているが、まだ修理箇所はなく、大切にされて働いているのが良く解る。知床エクスペディション用に作った「知床丸」も今年で5シーズンフルに使われているはずだがこれも修理はほとんどなく元気に勤めているようだ。ひどいのは10年を越えた「不知火丸」だ、修理だらけでかなりボロい。それでも新谷さんに信頼されて最も働いていることがわかる。

トレーラー車載のとき、その不知火Ⅱを一番下に強く縛り付けて上のカヤックを縛り付けるための足場として不知火のガンネル(カップリングの所)に乗っているのだ。ひどいけれどカヤックの強い所を良く知っているのだとあらためて思った。


 水野義弘



知床エピソード⑥

私にあてがわれた艇は、だいぶ使われて痛んでいる修理もいっぱいしてある「フリーウォータートレック」。ノースショア社(英国)製の中で最も小さな艇だろう。「フリーウォーター」は20年前20万円を切る安さで販売されていた。20年前、熊本に「バイダルカ」と言う店を出していたTさんのに試乗したことをよく覚えている。その時初めて載るライバル社ノースショアの艇だった。思いで深い。20年ぶりに乗る懐かしい楽しみがある。オリジナルのデッキはクローズでハッチは無く。と言うか、ハッチはシートの後ろの隔壁に施してあり。前の隔壁は無かった.空荷で遊ぶのにいいシーカヤックと言っていいだろう。後ろハッチをつけたのがトレック。さらに知床で使うために、新谷さんの方で前ハッチと隔壁をつけ、ラダーも付けてある。痛んできているので普段は使っていないはずだ、31人分用意するのにかき集めていた。私が乗るのにはちょうど良かった。ナイストッピング。あちこち水漏れもかなりする。

 快適快適、2日目、風の難所、ルシャを通ることとなる。「ルシャを通れなければその手前に泊まることになるから、風の静かなうち、朝の早いうちに通り過ぎよう」と早めにスタート。ルシャは山脈がそこだけ切れていて、知床半島の真ん中で低い、風が半島を通りり抜けてくる吹き出し口となる。その辺から知床の迫力が迫ってくる。
 ルシャを通り過ぎる時、風が吹いていた。ラダー付の船団は、何事も無くゆったりと前を進んでいる。

31人中、経験の無い人たちもなかにはいる。1人で漕いでいる。1人艇は、パフィン、ペンギン、ノーライト、知床、不知火、など色々だがラダーを使ってちゃんと進んでいる。先頭は新谷さん、所々に、いつもの強力スタッフのW艇数艇。前を行く船団に問題は無い。後ろからプロ3人。ラダーは使っていない。上手いはずだ。上手いと思う、、、?
 多くの人が知っている トッププロ、アルガフォレストの柴田さん。
 ICI石井スポーツで長年カヌー担当、フリースタイルが得意、コロラド川を下って来た、雑誌に良く顔を出している大内さん。

 ウォーターフィールドカヤックを作り続け、ヘボながら此の頃乗れてきてサーフカヤック世界戦にも参戦したあだ名が「社長」の水野。
 皆が風の中、順調に進んでいるのに、順調でないのは後ろのこのプロ3人。
 大内さんは元からラダー付いていない艇。右にリーンして右ストロークだけつづけて頑張っている。

 水野も苦労しだしたのでラダーを降ろした。見るといつの間にか柴田さんもラダーを降ろして使っていた。その後、切り抜けた所でラダーを上げて漕いでいると、大内さんが近寄ってきて、「さすがですね水野さんラダー使わないで行けたんですね」と言うので、「いままで使っていたですよ」と言うと、なぁんだと納得したようだった。柴田さんも使っているよと言うと、自分だけかとちょっと悔しそうにいった。
 皆が知らなくても、プロ連中もそんなものだったのです。


   水野義弘



知床エピソード⑦

私の乗るカヤックが、だいぶ浸水するので砂利の浜で修理することとなった。あちこち古くから修理してあって、特に浸水の多いスターンのキールの修理跡を剥がしてやり直すことに。それも出発前の朝から始めることに。樹脂が硬化してからの出発になる。手順を決断して素早くやらなければならない。

ツーリング中の修理回数は間違いなく世界1のドクター新谷さんとそのスタッフ。シーカヤックメーカードクター水野。名医が二人そろっている。意見は一致。手順の説明があり準備万端。焚き火であぶって乾かす、のみとハンマーでたたいて古い修理跡をハツリ、棒ヤスリでしごく。患部に合わせて切りそろえて置いた適量のガラスマットを樹脂を染み込ませながら丁寧に貼り付ける。たいした道具はない。工場じゃない。公開手術は、観客を前に鮪解体ショーのように行われた。手術は無事終了。おみごとでした。二人の名医は満足しました。

焚き火で乾かし、完全に硬化した所でバサクレのチカチカを石でしごいて出発。

残念ながら手術は完璧でなく、手術した35cmの1センチ先から浸みているのでした。

有名な名医二人は、ちょっと恥ずかしいヤブ医者になりました。


  水野義弘



知床エピソード⑧

3日目、いよいよオホーツク海側から知床岬を回り太平洋側へ進む。お昼にちょうど知床岬灯台のすぐ近くの浜に岩礁をかわしながら水路を進んで上陸する。すぐ焚き火びがおき、簡単に具を乗せた即席ラーメンのお昼ができる。お昼を食べてゆっくり後、岡の上の知床岬灯台へ歩く。細い崖の尾根道を1列に皆並んで登って歩く。この灯台に上がれるのは 人力でたどり着いた人にだけ許されているそうだ。灯台からの眺めはもちろん素晴らしい。今来た海、これから行く海が見える。いい気分になり、また1列に並んで降りていく。再び漕ぎ出す。

 岬付近は、うねりと風が入り混じり、浅い岩礁が見え隠れする。うねりはそこここで岩礁に砕けて白波だっている。岸のすぐ近くを漕ぎ行く隊は、崩れるうねりを避けながらジグザグに岩礁地帯の水路を進む。すこし危険なところの近くとを通るときは、決まって柴田さんの艇がこれ以上寄らないようにガードする。うねりと風に艇がゆれてコントロールも遅れがちな人が出てくる。励ましコースを促しながら先を行く隊を追う。そろそろ疲れたかなと思う頃、今日のキャンプ地に着いてカヤックを掲げあげる。

 キャンプ地のすぐ先のほうで、熊の母子が樺太鱒をとって食べている。母熊はそこがポイントなのか浜に待ち構えて、波に打ち寄せられてくる大鱒を波に飛び寄ってくわえ獲る。小熊は近くにいて遊んでいるのか見ているのか、獲物が捕れたら駆け寄って母子で食べる。

こちら羅臼側にきたら熊も普通に太っている。ウトロ側と羅臼側では餌の状況が違うようだ。
少し前、マッコウクジラが打ちあがって、十数頭の熊が集って一月で食べつくしたそうだ。熊には悪いが爆竹弾を投げ、山へ追う。夜は山に向けて点滅灯を点して、熊への注意を促し眠る。

 1人では怖いが、皆がいるので平気だった。


   水野義弘


知床エピソード⑨

3日目の夜。夜といっても明るいうちに夕食を食べるので、まだ夕方だ。夕食の後は焚き火を囲んでシンポジュームの語らいの時間になる。今日は私の番だ。

 「水野さんのカヤック作りの苦労話を聞かせてください」。と新谷さんからの振りがあり、話を始める。苦労話。最も苦労したのは25年前、カヤックを突然作り始めた、その経緯についって話し始めた。現物は見たこともない。当然、乗ったこともなかった。

 自分の世界。自転車に積めるカヤックを作ろう。カヤックを組み立てたら自転車をバラシて、そのカヤックに積んで行こう。世界にないやつを作る。水陸両用の人力旅行用形。アイデアとデザインは湧き上がって三日三晩は眠ることもなく、どんどんと設計した。人生が変わっていく。、、、話は長くなりました。

それでも、皆さんに、とても受けて喜んでもらって本当に良かったです。


 水野義弘


知床エピソード⑩

終盤4日目になり、のんびりゆっくり漕ぎ進む。こちら側、羅臼側は太平洋側のオホーツク海と言えばいいのだろうか。

 途中、ペキンノハナ(鼻先のような岬のような名勝だった)の小高い岡に上がった。知床の丘の上。山が見え、浜が見え、岩場が見え、番屋が見え、海の向こうに国後島が見える。

 全長100kmもあろうかと思われるほど、端から端まで長い全貌を横たわらせて、わずか30km先に太平洋から隔てたって知床を守る様に寄り添っている。はるか遠くではない、間近に国後島がある。北部太平洋からのうねりは国後島が防いでいるはずなのに、国後島と知床半島のこの海は太平洋とオホーツク海を結ぶ大水道となって、海流が再びうねってくるのだろう。波は崖岩を削りゴロ石を高く転げ上げている。

 再び知床の海をゆっくり遊び楽しみながら行く。岩礁の見え隠れする海岸線近くを、じぐざぐに漕ぎ進む、新谷さんについていく。

 新谷さんにとっては遊ぶ庭のようなものなのだろう。カヤックがやっと通る狭い直角に折れた水路、S時にうねりが回り込み揺り篭のように上り下りする水路。

 新谷さんは、先にスリリングな水路を通り抜けて皆が抜けてくる様子を見守っている。あたふたしながら抜け出てくる皆の様子を、ワッハワッハと大きく笑いながら見守っている。遊んで遊ばせてくれる。新谷さんのこういったセンスは誰も敵わないだろう。子供の頃から相当好きで遊んでこなければ出来ないだろう。怪我をしないように大いに遊べるようになるまで、怪我をつづけてきたんだろうと思った。


 水野義弘


知床エピソード⑪

参加者、皆でのキャンプも4日目5日目となると、怖いながらも知床の自然ともなれなれしくなり、すなおにとけて、焚き火の周りで馬鹿な恥ずかしいことも心から話す。特に私は1人興奮もピークとなっていたのだろう。調子に乗っていた。知床で知床とは全く関係ない話なので、、、。省略。

今回、パタゴニアの社員さんは4人参加していた。前に来たときも、支社長の辻井さんと、どこかの店の人も参加していた。2ヶ月前の7月のツアーにも辻井さんは参加して手伝ってくれていたらしい。

知床は商品開発、ひらめき、ヒントにいい所。新谷プロの道具に関する知恵アイデアは、ずしっとくる。厳しく評価されようが、喜んでもらおうが、ここで使って貰うんだと思う。

プロフェッショナルが作る物づくり。そこの所は、大きなパタゴニア社も小さな我社も同じだ。

私はこの業界にいながら、ずいぶんパタゴニア社の存在を知らなくて、皆が着ているこのPの付くロゴはなんて言うの、社長知らないんですかパタゴニアですよ。しらないなダサいなサーファーパンツ。、、、。

 そんな前の話を、ばりばりのパタゴニアの社員さんにした。しまった。いやな親父だと嫌われたくないので、翌朝、コーヒーを飲んでいる東京の店の神山さんの隣に、愛用のパタゴニアの帽子と地味なパタゴニアのフリースを着込んで腰掛けた。15cmも背の高いモデルさんのような女性と寄り添ってコーヒーを頂くなど現実社会ではめったにありえない。そこにいた力さん、現地商品開発プロの仕事らしい、すぐ気づいてくれて、それどっこもパタゴニアのロゴがないやつですね。、、なーんだ水野さん着てるじゃないですかパタゴニア。と神山さんも親しくしてくれた。うまくいった。全国直営店のレイアウトの仕事の、しまやんこと島田さんが親切に品物を世話してくれようと思ったのか、ところで水野さんはどこの店で買っているのですかと聞いてきた。、、、。ちょっとこまった。本当のことはとても言えない。特に神山さんの前では絶対言えない。アメリカのノースカロライナの店で買いました。とカッコ良く嘘を言いました。

  本当は、パタゴニアの店に買い物に行ったことないのです。この帽子はこないだキャンプ場で拾いました。アオカビが生えていましたが使っているうちきれいになりました。このフリースは3年前セカンドストリート、リサイクルショップで買いました。さいしょちょっと臭かったです。パンツは、知り合いのアウトドアの店じまいセールで見つけました。そのまま店は復活したしよかったです。


 水野義弘  なんていって言いのか、皆さんすみませんでした。